原文で読んでみよう 『平家物語』巻六廻文(後半)

ある時めのとの兼遠を召して、のたまひけるは、「兵衛佐頼朝既に謀叛をおこし、東八ヶ国をうちしたがへて東海道よりのぼり、平家を追い落とさんとすなり。義仲も東山、北陸両道をしたがへて、今一日も先に平家を攻め落とし、たとへば日本国二人の将軍といはればや」とほのめかしければ、中三兼遠大きにかしこまり悦んで、「それにこそ君をば今まで養育し奉れ。かう仰せらるるこそ、誠に八幡殿の御末ともおぼえさせ給へ」とて、やがて謀叛をくはたてけり。

(義仲は)ある時、養父の兼遠をお呼びになり、おっしゃるには、「兵衛佐頼朝はすでに謀叛を起こし、東国の八ヶ国を従えて東海道から上り、平家を追い落とそうとしているそうだ。義仲も東山道、北陸道を従えて、一日でも早く、平家を攻め落とし、たとえば、日本国の二人の将軍と呼ばれたい」とそれとなく本心を言葉にあらわしたので、中原兼遠はきちんと座り直し、喜んで、「それでこそ、あなたをこれまでお育てしたのです。そのようにおっしゃるのは、真の八幡義家殿の御子孫の証とお思いください」と言って、すぐに謀叛を企てた。

にゃんこ先生

「すなり」の「なり」と2「やがて」の意味、はい、ここ重要!

1 平家を追い落とさんとすなり。

①「平家を追い落とさんとするなり」なら、「平家を追い落とそうとするのだ」。「なり」は断定の助動詞、「~である、~だ」と確信をもって強く言い切っています。

②「平家を追い落とさんとなり」なら、「平家を追い落とそうとしているそうだ」。「なり」は推量の助動詞(推定ということもあります)。推量の助動詞グループのなかでは、聴覚推量。音声にもとづいて推量します。

▶ここは「なり」とあるので、義仲は、頼朝の挙兵をうわさで聞いていることがわかります。

サ変動詞の「す」は「せ・し・す・する・すれ・せよ」と活用します。断定の助動詞「なり」は連体形に接続するので「するなり」、推量(推定)の助動詞「なり」は終止形に接続するので「すなり」。「するなり」と「すなり」の意味は、形で覚えてしまうと、判別は楽です。

2 やがて謀叛をくはたてたり。

古典の単語を覚えるときに、やっかいなのが古今異義語。昔と今とで意味が違う場合です。

「やがて」はその代表的な例で、「すぐに、そのまま」。時間も場所も間を空けません。現代語の「やがて」とは意味が逆と言ってもいいかも。

かんた

兼遠は義仲の決意表明を聞いて、即座に、信濃国の武士に蜂起を呼びかけました。

兼遠にぐせられて、常は都へのぼり、平家の人々の振舞、有様をも見うかがひけり。十三で元服しけるも、八幡へ参り、八幡大菩薩の御まへにて、「我四代の祖父、義家朝臣は、此御神の御子となって、名をば八幡太郎と号しき。かつぅは其跡をおふべし」とて、八幡大菩薩の御宝前にてもとどりとりあげ、木曾次郎義仲とこそついたりけれ。

(義仲は)中原兼遠に連れられて、ふだんから都に上っては、平家の人々の振る舞いや様子をのぞき見た。十三歳で元服するときも、八幡に参り、八幡大菩薩の宝前で、「私の四代の祖父、義家朝臣は、この神様の御子となって、名を八幡太郎と名のった。私もその例に倣いたい」といって、八幡大菩薩の御前でもとどりをあげ、木曾次郎義仲と名づけられたのだ。

義仲の元服についてはこちら

兼遠、「まづ廻文候べし」とて、信濃国には根井の小弥太、海野の行親をかたらふに、そむく事なし。これをはじめて信濃一国の兵ども、なびかぬ草木もなかりけり。上野国に、故帯刀先生 義賢がよしみにて、多胡の郡の兵ども皆したがひつきにけり。平家末になる折をえて、源氏の年来の素懐をとげんとす。

兼遠は、「まづ廻文めぐらしぶみをまわしましょう」と言って、信濃国には根井の小弥太、海野の行親を仲間に引き入れたところ、反対しなかった。これらをはじめとして信濃一国のつわものたちは、誘いに乗らない者はいなかった。上野国でも、義仲の父である故帯刀先生義賢の縁で、多胡の郡のつわものたちは皆、味方についた。平家の勢力が衰える時を得て、源氏は長年の素懐を遂げようとする。

【八幡殿の御末→】 源義家 (略)石清水八幡宮で元服したので八幡太郎と号する。天下第一の武勇の士といわれ、前九年の役に父頼義とともに奮戦し、功により出羽守となる。のち陸奥守となり後三年の役を鎮定して東国の武士の信望を得、源氏が東国に起こる基盤をつくった。(略)(日本国語大辞典)

PAGE TOP