治承四年(1180)のできごと

第4問 治承四年(1180)に起きたA~Cの出来事を古い順に並べると、正しいのはどれ?
A 木曾義仲が信濃国で挙兵 
B 以仁王の挙兵 
C 平氏、東大寺・興福寺を焼く(奈良炎上)
①A→B→C ②B→A→C ③B→C→A     

正解  B 以仁王の挙兵 治承四年(1180)4月 → A 木曾義仲が信濃国で挙兵 治承四年9月 → C 平氏、東大寺・興福寺を焼く(奈良炎上) 治承四年12月

 

木曾義仲の挙兵について、『平家物語』覚一本は次のように書いています。

(義仲は)ある時、養父の兼遠をお呼びになり、おっしゃるには、「兵衛佐頼朝はすでに謀叛を起こし、東国の八ヶ国を従えて東海道から上り、平家を追い落とそうとしているそうだ。義仲も東山道、北陸道を従えて、一日でも早く、平家を攻め落とし、たとえば、日本国の二人の将軍と呼ばれたい」とそれとなく本心を言葉にあらわしたので、中原兼遠はきちんと座り直し、喜んで、「それでこそ、あなたをこれまでお育てしたのです。そのようにおっしゃるのは、真の八幡太郎義家殿の御子孫の証とお思いください」と言って、すぐに謀叛を企てた。(中略) 兼遠は、「まづ廻文(めぐらしぶみ)をまわしましょう」と言って、信濃国では根井の小弥太、海野の行親を仲間に引き入れたところ、反対しなかった。これらをはじめとして信濃一国の(つわもの)たちは、誘いに乗らない者はいなかった。上野国でも、義仲の父である故帯刀先生義賢の縁で、多胡の郡の(つわもの)たちは皆、味方についた。平家の勢力が衰える時宜を得て、源氏は長年の素懐を遂げようとする。(巻六・廻文)

原文はこちら

かんた

吾妻(あづま)(かがみ)』によると、義仲が初めて平家方とたたかったのは、治承四年九月七日の市原合戦(善光寺裏合戦)。平家の家人笠原頼直と戦って、退けました。

以仁王の挙兵は失敗に終わり、以仁王は討死、源頼政は自害します。義仲の兄の仲家は、頼政の養子になっていましたが、仲家も自害します。

しかし、以仁王の令旨は、反平家の動きを加速させました。

また、以仁王に味方した三井寺(園城寺)を、平家が焼き討ち。次いで興福寺を攻撃し、奈良の多くの社寺が炎上する結果となります。これによって神仏の加護が、平家から離れてしまったという表現が、『平家物語』覚一本にはくりかえし登場します。

源頼政が自害した場所:扇の芝 世界遺産 平等院 (byodoin.or.jp)

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