東山道・北陸道の国

第8問 木曽義仲が従えた東山道と北陸道の国。次のうち東山道と北陸道に含まれていない国はどれ?
① 美濃国 ② 若狭国 ③ 甲斐国 

正解 ③ 甲斐国  東海道の国です。

東山道は、近江・美濃・飛騨・信濃・上野(こうづけ)下野(しもつけ)・陸奥・出羽の8か国。

北陸道は、若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡の7か国。

寿永二年(1183)三月上旬、源頼朝と木曾義仲の仲が悪くなり、頼朝は信濃国善光寺まで出兵します。義仲は信濃国と越後国の境、熊坂山に陣をとり、今井四郎兼平を使者として頼朝のもとに行かせました。今井が頼朝に伝えた、義仲の言葉の最初の部分。

どんな理由があって、義仲を討とうとおっしゃるのですか。頼朝殿、あなたは東八ヶ国を従えて、東海道から都に攻め上り、平家を追い落とそうとなさっています。義仲も東山とうせん北陸ほくろく両道を従えて、一日でも早く平家を攻め落とそうとしているのです。なぜあなたとこの義仲が仲違いして、平家に笑われたいと思うでしょうか。(巻七・清水冠者)

いかなる子細のあれば、義仲討たむとはのたまふなるぞ。御辺は東八ヶ国をうちしたがへて、東海道より攻めのぼり平家を追ひおとさむとし給ふなり。義仲も東山北陸両道をしたがへて、今一日もさきに平家を攻めおとさむとする事でこそあれ。何のゆゑに御辺と義仲と仲をたがうて、平家に笑はれんとは思ふべき。

頼朝が従えるという東八ケ国は、足柄の関より東の、相模・武蔵・安房(あわ)上総(かずさ)下総(しもふさ)常陸(ひたち)上野(こうづけ)下野(しもつけ)の8か国。このうち上野・下野の2か国は東山道にあります。

上野国は義仲の父、義賢がかつて本拠にしていたところ。義賢の郎党の多胡、那波が義仲につき、義仲の勢力圏になっていました。上野国に勢力を拡大してきた義仲を、頼朝が警戒したことが出兵の理由だと考えられています。

義朝・義平と義賢の対立構造が、頼朝と義仲の間で再燃したわけ。義賢が討たれたときのことは、こちらをお読みください。

「清水冠者」は義仲の嫡男、義重のこと。元服した男子を冠者といいます。「清水冠者」の原文はこちら

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