原文で読んでみよう~火打合戦

○声に出して読みやすいように、フリガナは現代仮名づかいで付けています

木曾義仲、身がらは信濃にありながら、越前国火打(ひうち)(じょう)をぞかまへける。かの城墎(じょうかく)にこもる(せい)平泉寺(へいせんじ)長吏(ちょうり)(さい)(めい)威儀師(いぎし)、稲津新介、斎藤太、林六郎光明、富樫入道仏誓、土田、武部、宮崎、石黒、入善、佐美を初めとして、六千余騎こそこもりけれ。

木曾義仲は自身は信濃国にいたままで、越前国の火打が城を合戦の備えにした。その城郭に籠もる軍勢は、平泉寺長吏斎明威儀師稲、津新介、斎藤太、林六郎光明、富樫入道仏誓、土田、武部、宮崎、石黒、入善、佐美を初めとして、六千騎余り。

もとより究竟くっきょう城墎じょうかくなり。盤石(ばんじゃく)(そばだ)ちめぐって、四方に峰をつらねたり。山をうしろにし、山をまへにあつ。城墎(じょうかく)の前には能美(のうみ)(がわ)新道(しんどう)(がわ)とて流れたり。二つの川の落合に大木(おおぎ)をきッて逆茂木(さかもぎ)にひき、しがらみをおびたたしうかきあげたれば、東西の山の根に水さしこうで、(みず)(うみ)にむかへるが如し。

もともときわめて堅固な城郭である。岩盤が周囲に高くそびえ、四方に峰が続いている。山を後ろにし、山を前にする。城郭の前には能美川、新道川という川が流れている。二つの川が合流するところに、大木をきって侵入を防ぐために柵(逆茂木)を設置し、たくさんの杭を打って木を結びつけたので、東西の山のふもとに水が入り込んで、湖に向かって城がたっているようだった。

南山(なんざん)を浸して青くして滉漾(こうよう)たり。浪西日を沈めて(くれない)にして奫淪(いんりん)たり。かの無熱(むねっ)()の底には金銀の砂をしき、昆明池の渚には徳政の舟を浮べたり。

~(白氏文集にいう)湖面に南山の姿を映して水は青く広々と果てしなく、波は西日をうけて紅の波紋を描く~ あの無熱池の底には金銀の砂を敷き、昆明池の水際には徳政の舟を浮かべている。

この火打が城のつきいけには、堤をつき、水をにごして、人の心をたぶらかす。舟なくしてはたやすう渡すべき様なかりければ、平家の大勢むかへの山に宿して、徒らに日数をおくる。

この火打ちが城の人工の池に堤を築いて、水を濁らせて、人をだます。舟が無くてはたやすく渡れないので、平家の大軍は向かいの山にとどまって、手をだせないまま日数がすぎる。

城の内にありける平泉寺の長吏(ちょうり)(さい)(めい)威儀師(ゐぎし)、平家に志ふかかりければ、山の根をまはって、消息を書き、蟇目(ひきめ)の中に入れて、忍びやかに平家の陣へぞ射入れたる。「かの水うみは往古の淵にあらず。一旦山河をせきあげて候ふ。夜に入り足軽(あしがろ)どもをつかはして、しがらみを切り落とさせ給へ。水は程なく落つべし。馬の足ききよい所で候へば、いそぎ渡させ給へ。うしろ矢は射て参らせむ。これは平泉寺の長史斎明威儀師が申状(もうしじょう)」とぞ書いたりける。

火打が城の中にいた平泉寺の長吏斎明威儀師は、平家に味方したいという気持ちが強かったので、山のふもとをまわって、手紙を書き、蟇目の中に入れて、こっそりと平家の陣に向けて矢を放った。「その湖は昔からあったものではありません。一時的に山中を流れる川をせき止めたものです。夜になったら足軽たちを行かせて、柵(しがらみ)を切り落とさせてください。水はすぐに引くはずです。馬の足でも渡れるところですから、急いで渡ってください。背後から矢を射て援護いたします。この手紙は平泉寺の長史斎明威儀師がお送りしました」と書いた。

大将軍大きに悦び、やがて足軽どもをつかはして、柵を切り落とす。おびたたしう見えつれども、げにも山川なれば、水は程なく落ちにけり。平家の大勢しばしの遅々にも及ばず、ざっとわたす。城の内の兵ども、しばしささへてふせぎけれども、敵は大勢なり、みかたは無勢なりければ、かなふべしとも見えざりけり。

平家の大将軍、平維盛、通盛らはとても喜び、すぐに足軽たちを行かせて、柵(しがらみ)を切り落とす。水はたくさんあるように見えていたが、なるほど山中を流れる川なので、水はすぐに引いてしまった。平家の大軍はためらわず、ざっと渡った。城の内の兵たちは、しばらくは抵抗して防いだが、敵は大勢いる、味方は少数なので、対抗できそうになかった。

平泉寺長吏斎明威儀師、平家について忠をいたす。稲津新介、斎藤太、林六郎光明、富樫入道仏誓、ここをば落ちて、猶平家をそむき、加賀国へ引き退き、白山河内にひっこもる。平家やがて加賀に打ち越えて、林、富樫が城墩二ヶ所焼きはらふ。何面をむかふベしとも見えざりけり。ちかき宿々より飛脚をたてて、此由都へ申したりければ、大臣殿以下残りとどまり給ふ一門の人人、いさみ悦ぶ事なのめならず。(下略)

平泉寺長吏斎明威儀師は、平家に味方して忠誠心を示した。稲津新介、斎藤太、林六郎光明、富樫入道仏誓は、火打が城から逃げ、それでもやはり平家に逆らい、加賀国に撤退し、白山河内に立て籠もった。平家はすぐに加賀国に向かって、林、富樫の城郭二ヶ所を焼き払う。どうしてもかなうとは思えなかった。近くの宿場から何度も飛脚をたてて、このことを都に報告したので、平宗盛殿以下、都に残っておられる一門の人々は、心が奮い立ち、並み一通りの喜びようではなかった。

下の地図は、図説福井県史 古代18 源平合戦と北陸道(1) (fukui.lg.jp)より転載。

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