平重衡を大将軍とする四万騎の軍勢が、奈良の東大寺の大仏や興福寺の伽藍を焼亡させた事件が起きたのは、下のA、B、Cのうち、どの期間でしょう。
安徳天皇即位→A→以仁王が挙兵→B→富士川の戦い→C→倶梨迦羅峠の戦い
正解はC
1180年(治承四)2月に高倉天皇が譲位し、4月に安徳天皇が即位。3歳でした。
同5月に以仁王が挙兵。以仁王は敗死しましたが、4月に諸国に伝達した以仁王の令旨によって源頼朝が挙兵。
同10月に富士川で平家軍は、頼朝軍と対峙しますが、水鳥の羽音に驚いて敗走します。
同12月重衡が奈良を攻撃、東大寺、興福寺が焼亡します。
翌1181年(治承五)閏2月に清盛が死去、その2年後の1183年(寿永二)5月平家は倶梨迦羅峠の戦いで源義仲に大敗します。
後白河院第二皇子の以仁王は、天皇の位につくことを期待していましたが、建春門院(清盛の正室時子の妹、つまり平氏一族)が生んだ高倉天皇に負け、安徳天皇に負けてしまったのです。挙兵の理由の一つとされています。