【滅亡の焔】 「なぜ重衡は、囚人なのに、周囲の人に親切にしてもらえるの?」③

重衡は鎌倉で、源頼朝や狩野介宗茂に手厚くもてなしてもらいました。「千手前」 重衡は女性にも人気があるけど、源氏方の守護の武士たちもいろいろと便宜をはかっています。その一端をご紹介します。

すこし時間をもどして、寿永三年(1184)2月、平家は摂津国一の谷で源氏軍に大敗、平氏一族の通盛、忠度、敦盛らが討たれました。重衡が乗っていた馬に矢があたります。乳母子の盛長は自分の馬を取り上げられるのはいやだと、重衡を置き去りにします。重衡は切腹しようとしますが、生け捕りにされました。「重衡生捕」

①都で重衡を守護する土肥次郎は、重衡に長年仕えていたという知時の頼みを聞き入れて特別に面会を許します。

②交際していた内裏の女房にあてた重衡の手紙を、知時が内裏に届けることを許します。

③内裏の女房が重衡に会いにくることを許します。

恋人に逢えたのはこの一度きりでしたが、それでも破格の待遇です。

 そして、重衡は同じ年の3月に鎌倉に下って千手前と出会い、翌年6月に上京。京の中には入らず、山科から醍醐路を通って、奈良に向かいます。路の途中の日野に重衡の正妻である大納言佐殿が暮らしていましたので、妻に逢いたいという願いも許されました。(つづく)

公演の詳細は→金子あい公式ページ

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