【滅亡の焔】 「なぜ重衡は、囚人なのに、周囲の人に親切にしてもらえるの?」⑤

重衡のこと、もう少し解説しましょう。

「スーパーカップル」 

乳母(めのと)の夫の「乳母夫(めのとぶ)」。辞書の見出しにもなっていないめずらしい言葉ですが、院政期以降、乳母の夫が重要な役割を持つようになります。清盛の正妻の時子(二位尼)は二条天皇の乳母、清盛は乳母夫でした。

 重衡の正妻、藤原輔子(大納言佐)は安徳天皇の乳母、重衡は乳母夫です。(二人の間に子どもはいないので、名誉乳母?乳母は単独ではなくチーム制だったようです)重衡は中宮亮を務めたあと、平氏一族の宝、安徳天皇の守役に任命されました。天皇や中宮のそばで仕事をするので、教養も音楽の才能も必要でしたが、重衡はその条件も軽くクリアしていたもよう。

 妻の大納言佐(だいなごんのすけ)は、大納言典侍とも書きますが、父は清盛の盟友といわれる五条大納言藤原邦綱、宮中で働く女官を統括する内侍司の次官、「典侍」(ないしのすけ)の地位にありました。

〔脱線してちょっと説明 宮中でお仕えする女房のうち、天皇にお仕えするのが「内の女房」、中宮にお仕えするのが「宮の女房」です。あの清少納言は、中宮(皇后)定子にお仕えする宮の女房でしたが、女房のあこがれのポストは「典侍」と『枕草紙』に書いています〕 

 というわけで、重衡は、安徳天皇の乳母でもある、バリバリのキャリアウーマンの妻とともに宮中で頼りにされていました。そして二人はとてもなかよしでした。(つづく)

「乳母」平安中期以降貴族中心に乳母が養育に重点をおいて盛行するにともない,その夫である乳母夫(めのとぶ)も役割の同一性から乳母とよばれ,さらに貴人の子の養育にあたる男性一般をも,傅の字を用いながら,〈めのと〉とよぶようになった。(抜粋)[世界大百科事典 義江 彰夫]

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