【滅亡の焔】現代語訳付き鑑賞ガイド 奈良炎上② 

『平家物語』を原文で語る舞台、お話がもっと分かるともっと楽しめるはず!と思っている方もいらっしゃるでしょう。舞台映像は何度でも見直すことができます。現代語訳をお供に、すこしずつ楽しんでみませんか。

奈良炎上  

平家が本気で攻めてきた/火を用意せよ! 0:09:03ごろ~     

入道相国は激しく怒り、「そうか、では南都を攻めよ」と言って、大将軍には頭中将重衡、副将軍には中宮亮通盛、総勢四万余騎で南都に向かう。大衆も、老いも若きも七千人あまりが、甲の緒をしめ、奈良坂、般若寺、二ヶ所の道を横切る堀を作って、堀を掘り楯を垣のように立て逆茂木を置いて待っている。平家は四万余騎を二手に分けて、奈良坂、般若寺二ヶ所の城郭に押し寄せて、鬨の声をあげる。

入道相国大きにいかって、「さらば南都を攻めよや」とて、大将軍には頭中将重衡(しげひら)、副将軍には中宮(すけ)(みち)(もり)、都合其勢四万余騎で、南都へ発向す。大衆も老少(らうせう)きらはず、七千余人、(かぶと)の緒をしめ、奈良坂、般若寺、二ヶ所の(みち)を掘り切って、堀ほりかいだてかき、逆茂木(さかもぎ)ひいて待ちかけたり。平家は四万余騎を二手(ふたて)にわかッて、奈良坂、般若寺二ヶ所の城郭に押し寄せて、(とき)をどっとつくる。

京からやってくる平家軍に対抗するため、奈良の僧たちは京に通じる道の奈良の出入り口2個所に砦を作りました。

大衆はみんな徒歩で、そして太刀・長刀で戦う。官軍は馬で駆け回り駆け回り、あちこちで追いかけ追いかけ、弓をさしつめひきつめ、さんざんに射たので、防戦一方の僧たちは壊滅してしまった。午前五時に矢合して、一日中戦う。夜に入って奈良坂、般若寺二ヶ所の城郭はともに敗れた。

大衆はみな徒歩(かち)()打物(うちもの)なり。官軍は馬にて駆け回し駆け回し、あそこここに追っかけ追っかけ、さしつめひきつめ、さんざんに射ければ、ふせぐところの大衆、数を尽くいて討たれにけり。卯の(こく)矢合(やあはせ)して、一日戦ひ暮らす。夜に()ッて奈良坂、般若寺二ヶ所の城郭ともに敗れぬ。

朝廷を支配する清盛の指示で動く平家軍は官軍(朝廷側の軍隊)。徒歩の僧たちを馬で追いかけ、太刀・長刀で戦う僧たちを離れた場所から弓で射る。僧たちに勝ち目はありません。

夜いくさになって、あたりが暗くなり、大将軍の重衡が、般若寺の門の前にすっくと立ち、「火を用意せよ」と言うか言わないうちに、平家の軍勢の中にいた播磨国住人、福井庄下司、二郎大夫友方という者が、楯を割り、松明にして、民家に火をつけたのだった。

()いくさになって、暗さは暗し、大将軍頭中将、般若寺の(もん)の前にうっ立って、「火をいだせ」とのたまふ程こそありけれ、平家の(せい)のなかに、播磨の国の住人、福井庄(ふくいのしゃう)下司(げし)、二郎大夫友方(ともかた)といふ者、(たて)を割り、松明(たいまつ)にして、在家(ざいけ)に火をぞかけたりける。

十二月廿八日の夜だったので、風は激しく、火元は一つだったが、吹きまよう風が、たくさんの寺院の建物に火の粉を吹きかけた。

十二月廿八日の()なりければ、風ははげし、火元(ほもと)は一つなりけれども、吹きまよふ風に、おほくの伽藍(がらん)に吹きかけたり。

恥を知り、みずからの評判を大切にする者は、奈良坂で討ち死にし、般若寺で討たれてしまった。自分で歩ける者は、吉野十津川の方へ逃げていく。歩くことができない老僧や、まじめに学問する者、児たち、女、こどもは、大仏殿の二階の上や、山階寺の中に我先に逃げたのだった。大仏殿の二階の上には、千人あまりが登り、敵をあとから登らせまいと、橋を引きあげてしまっていた。猛火は現実に迫っている。わめきさけぶ声、焦熱大焦熱、無間阿毘地獄の炎の底の罪人も、これにはまさるまいと思えた。

恥をも思ひ、名をも惜しむほどの者は、奈良坂にて討ち死にし、般若寺にして討たれにけり。(ぎや)(うぶ)にかなへる者は、吉野十津(とつ)(かは)(かた)へ落ちゆく。歩みもえぬ老僧や、尋常なる修学者(しゅがくしゃ)(ちご)ども、(をんな)童部(わらんべ)は、大仏殿の二階の上、(やま)階寺(しなでら)のうちへ我先にとぞ逃げゆきける。大仏殿の二階の上には、千余人登りあがり、(かたき)の続くを登せじと、橋をば引いてんげり。猛火(みやうくわ)はまさしう押しかけたり。をめき叫ぶ声、焦熱(せうねつ)(だい)焦熱(せうねつ)無間(むけん)阿毘(あび)のほのほの底の罪人も、これには過ぎじとぞ見えし。

般若寺の楼門(奈良県奈良市)

PAGE TOP