奈良炎上
平家が本気で攻めてきた/火を用意せよ! 0:09:03ごろ~
入道相国は激しく怒り、「そうか、では南都を攻めよ」と言って、大将軍には頭中将重衡、副将軍には中宮亮通盛、総勢四万余騎で南都に向かう。大衆も、老いも若きも七千人あまりが、甲の緒をしめ、奈良坂、般若寺、二ヶ所の道を横切る堀を作って、堀を掘り楯を垣のように立て逆茂木を置いて待っている。平家は四万余騎を二手に分けて、奈良坂、般若寺二ヶ所の城郭に押し寄せて、鬨の声をあげる。
入道相国大きにいかって、「さらば南都を攻めよや」とて、大将軍には頭中将重衡、副将軍には中宮亮通盛、都合其勢四万余騎で、南都へ発向す。大衆も老少きらはず、七千余人、甲の緒をしめ、奈良坂、般若寺、二ヶ所の路を掘り切って、堀ほりかいだてかき、逆茂木ひいて待ちかけたり。平家は四万余騎を二手にわかッて、奈良坂、般若寺二ヶ所の城郭に押し寄せて、鬨をどっとつくる。
京からやってくる平家軍に対抗するため、奈良の僧たちは京に通じる道の奈良の出入り口2個所に砦を作りました。
大衆はみんな徒歩で、そして太刀・長刀で戦う。官軍は馬で駆け回り駆け回り、あちこちで追いかけ追いかけ、弓をさしつめひきつめ、さんざんに射たので、防戦一方の僧たちは壊滅してしまった。午前五時に矢合して、一日中戦う。夜に入って奈良坂、般若寺二ヶ所の城郭はともに敗れた。
大衆はみな徒歩立ち打物なり。官軍は馬にて駆け回し駆け回し、あそこここに追っかけ追っかけ、さしつめひきつめ、さんざんに射ければ、ふせぐところの大衆、数を尽くいて討たれにけり。卯の刻に矢合して、一日戦ひ暮らす。夜に入ッて奈良坂、般若寺二ヶ所の城郭ともに敗れぬ。
朝廷を支配する清盛の指示で動く平家軍は官軍(朝廷側の軍隊)。徒歩の僧たちを馬で追いかけ、太刀・長刀で戦う僧たちを離れた場所から弓で射る。僧たちに勝ち目はありません。
夜いくさになって、あたりが暗くなり、大将軍の重衡が、般若寺の門の前にすっくと立ち、「火を用意せよ」と言うか言わないうちに、平家の軍勢の中にいた播磨国住人、福井庄下司、二郎大夫友方という者が、楯を割り、松明にして、民家に火をつけたのだった。
夜いくさになって、暗さは暗し、大将軍頭中将、般若寺の門の前にうっ立って、「火をいだせ」とのたまふ程こそありけれ、平家の勢のなかに、播磨の国の住人、福井庄の下司、二郎大夫友方といふ者、楯を割り、松明にして、在家に火をぞかけたりける。
十二月廿八日の夜だったので、風は激しく、火元は一つだったが、吹きまよう風が、たくさんの寺院の建物に火の粉を吹きかけた。
十二月廿八日の夜なりければ、風ははげし、火元は一つなりけれども、吹きまよふ風に、おほくの伽藍に吹きかけたり。
恥を知り、みずからの評判を大切にする者は、奈良坂で討ち死にし、般若寺で討たれてしまった。自分で歩ける者は、吉野十津川の方へ逃げていく。歩くことができない老僧や、まじめに学問する者、児たち、女、こどもは、大仏殿の二階の上や、山階寺の中に我先に逃げたのだった。大仏殿の二階の上には、千人あまりが登り、敵をあとから登らせまいと、橋を引きあげてしまっていた。猛火は現実に迫っている。わめきさけぶ声、焦熱大焦熱、無間阿毘地獄の炎の底の罪人も、これにはまさるまいと思えた。
恥をも思ひ、名をも惜しむほどの者は、奈良坂にて討ち死にし、般若寺にして討たれにけり。行歩にかなへる者は、吉野十津川の方へ落ちゆく。歩みもえぬ老僧や、尋常なる修学者、児ども、女、童部は、大仏殿の二階の上、山階寺のうちへ我先にとぞ逃げゆきける。大仏殿の二階の上には、千余人登りあがり、敵の続くを登せじと、橋をば引いてんげり。猛火はまさしう押しかけたり。をめき叫ぶ声、焦熱大焦熱、無間阿毘のほのほの底の罪人も、これには過ぎじとぞ見えし。

『平家物語』を原文で語る舞台、お話がもっと分かるともっと楽しめるはず!と思っている方もいらっしゃるでしょう。舞台映像は何度でも見直すことができます。現代語訳をお供に、すこしずつ楽しんでみませんか。